アフリカの探索

ポルトガルがインド航路を発見してからは、少しずつアフリカ大陸のことも分かってきました。ただ内陸は全く文明の光が当たっておらず、お手上げ状態でした。

北部はイスラム文化が流入していたことから、イスラム圏では地図の一部として認識されていたのですが、ヨーロッパ人にとってその地図は簡単に手に入るものではありませんでした。サハラ以南の未開の地を地図に描くためには、資金も必要ですし、人員も相応の数を要しますが、熱帯の気候が白人の探究意欲を奪い、挑戦するものが現れても、皆挫折するばかりでした。

アフリカで探索らしい探索が行われたのは19世紀中頃まで下ります。リヴィングストンは水系を把握することを優先し、中部と東部を徹底的に探索しました。そしてその情報を基に、交易に有利に働く現地の地理的条件をヨーロッパに伝えようとしました。

その功績は小さくなかったのですが、水源を調べている中で病気を患い、帰らぬ人となりました。彼は生前、アフリカの地図をたくさん残しています。それらが後輩たちのアフリカ研究にどれほど貢献したのかは、言うまでもありません。後続の研究者は内陸の様子を丹念に調べ上げ、南部の河川が輸送路として使えないことも判明したのです。

 アフリカの内陸の探索が進む一方、地図作成の技術そのものも、現代的なものになりつつありました。完璧な地図が完成してからも、課題は山積みとなっています。グローバル化が叫ばれて久しい現在、地図のスタンダードも国際的な議題に上ります。19世紀末の国際地理学会議で提案されたのは、「国際図」を協力して作ろうというものでした。20世紀の同会議はさらに細かく話し合われ、縮尺、図幅、国境線等についても意見が交わされました。


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